2015年11月10日
親ライオンの気持ちです
80代でも、かわいいおばあちゃんは、いる。
はんぶん、ボケて、かわいい、のは、ありえるけれど、
キレイなおばあちやんは、なかなかいない。
スポーツ倶楽部のプールでご一緒する、あるお方、
わたしよりある程度、年上だと願景村人生課程は思っていたが、78歳と聞いて、びっくり。
胸にペースメーカーを埋め込んだ手術の、3ヶ月後には、もうプールに復帰。
クロールで、往復がんがん泳ぐ、その体力もさることながら、
プールではお化粧は厳禁なので、みんなノーメークだが、色白でとても美しいひとだ。
わたしは、手足は長いけれど、すでに、もう、「洋梨?ドラム缶」体型なのに対して、
トランジスタ―?グラマータイプの体格で、ウエストも、くびれあり。

ああいうひとに、なりたいなあ???
子供を産むのは無理だろうけれど、素敵な恋愛?いや、
恋愛はいいから、仲よしさんと、睦まじく穏やかな老後を送りたい。
わたしは、恋愛で熱くなるよりも、自分の世界を、あたためたい。
あ、でも、自分ワールドに浸るひとは、ボケやすい、って本に書いていあったっけ。
では、適度に素敵な方々と、そ補濕こそこ素敵な時間を共にいたしましょう。
立ち読みシリーズ、そのつづき???
「日本破綻」「世界恐慌」
そういうキーワードで、あれこれの本を片っぱしから、ちょい読みした。
でも、自分が欲しい情報は、なかなか載っていない。
わたしは、単に、
「じゃあ、日本国民は、個人として、その日に備えて、どういう具体策をとればいいのか」、
日本の政府や銀行に頼り切らない、自己自衛策を知りたかったのだが。
まあ、2、3、具体的に方法が載っていた本もあったが、
そのまま、まるのみするのも、いかがなるものか。
しかし、ぼやぼやしてはいられない。
今年中には、なにか手を打たないと???と、焦っている。
※具体的なことは、ここには載せません。
わたし、めちゃめちゃイジワルなので、
自分で苦労して得た情報は、めったやたらと開示しません。
それに、ひとの言ってることを真に受けるより、
自分の足と汗と目と耳で得た情報のほうが、説得力があるし、結果的に失敗だったとしても、
次の失敗再発?予防対策にも役立つはず。
子供を谷から落とす。なーんて。
さて、話は、変わって、
マイケル?ダグラス、かっこいい。
一昨日から上映されている映画「ウォール?ストリート」、
シブいです。
お客さんの入りは、封切、翌日にしては、少なかったのが残念な気がするけれど。
はんぶん、ボケて、かわいい、のは、ありえるけれど、
キレイなおばあちやんは、なかなかいない。
スポーツ倶楽部のプールでご一緒する、あるお方、
わたしよりある程度、年上だと願景村人生課程は思っていたが、78歳と聞いて、びっくり。
胸にペースメーカーを埋め込んだ手術の、3ヶ月後には、もうプールに復帰。
クロールで、往復がんがん泳ぐ、その体力もさることながら、
プールではお化粧は厳禁なので、みんなノーメークだが、色白でとても美しいひとだ。
わたしは、手足は長いけれど、すでに、もう、「洋梨?ドラム缶」体型なのに対して、
トランジスタ―?グラマータイプの体格で、ウエストも、くびれあり。

ああいうひとに、なりたいなあ???
子供を産むのは無理だろうけれど、素敵な恋愛?いや、
恋愛はいいから、仲よしさんと、睦まじく穏やかな老後を送りたい。
わたしは、恋愛で熱くなるよりも、自分の世界を、あたためたい。
あ、でも、自分ワールドに浸るひとは、ボケやすい、って本に書いていあったっけ。
では、適度に素敵な方々と、そ補濕こそこ素敵な時間を共にいたしましょう。
立ち読みシリーズ、そのつづき???
「日本破綻」「世界恐慌」
そういうキーワードで、あれこれの本を片っぱしから、ちょい読みした。
でも、自分が欲しい情報は、なかなか載っていない。
わたしは、単に、
「じゃあ、日本国民は、個人として、その日に備えて、どういう具体策をとればいいのか」、
日本の政府や銀行に頼り切らない、自己自衛策を知りたかったのだが。
まあ、2、3、具体的に方法が載っていた本もあったが、
そのまま、まるのみするのも、いかがなるものか。
しかし、ぼやぼやしてはいられない。
今年中には、なにか手を打たないと???と、焦っている。
※具体的なことは、ここには載せません。
わたし、めちゃめちゃイジワルなので、
自分で苦労して得た情報は、めったやたらと開示しません。
それに、ひとの言ってることを真に受けるより、
自分の足と汗と目と耳で得た情報のほうが、説得力があるし、結果的に失敗だったとしても、
次の失敗再発?予防対策にも役立つはず。
子供を谷から落とす。なーんて。
さて、話は、変わって、
マイケル?ダグラス、かっこいい。
一昨日から上映されている映画「ウォール?ストリート」、
シブいです。
お客さんの入りは、封切、翌日にしては、少なかったのが残念な気がするけれど。
Posted by 身を乗り出した at
16:34
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2015年11月04日
楽しい平和な時間なのだろう
一人で住んでいると、たとえ時々ヘルパーさんが巡回してくれても、
部屋も汚くなるだろうし、身もかまわなくなるだろう。
刺激もないので、だんだん、理想的な暮らしから遠のいていきそうだ。
自分がアタマに描いた理想の暮らし、理想の老後が海外僱傭中心送れていない、とその時点で自分で判断できるのだろうか。
かといって、心身健康なときに、理想の暮らしを切り捨てて、老人ホームに入る勇気があるかどうか。
英断が下せるのだろうか。
有終の美を飾りたい。ピークのときに引退したい。
そう理想は唱えるが、実際になると、自主的に自由意志でそんなことは出来ないと思う。
よほどの強い意志でもない限り。
あるいは、よほどの外圧、外からの強制力でもない限り。
いくら美学を貫きたいと思っても、認知症にかかってしまえば、貫けない。
ただ、問題は、白黒はっきりした、だれが見ても深刻な認知症ならわかりやすいが、
アタマがばっちり冴えている時と、そうでない時にわかれる、ジキルとハイドの認知症、
いわゆる「まだら」になった場合。
自分で無意識、無自覚に行っている行為があり、その行為をモノの移動や、事象の検証で確認できた場合、
あるいは、他人に「あなた、これこれ、こんなことしてましたよ」と知らされた場合、
我に戻ったハイドは、認知症のジキルの行動を知って、愕然となる。
まさに認知症のまだら状態は、人間の二面性といってよいのではないだろうか。
自分の知らない自分を知ったら愕然とすることだろう。
徘徊老人は、まさにそれ。
真っ裸になって道の溝にしゃがんで、すっぽり入っている老人、
「お~い、追い炊きしてくれ~」と、本人はお風呂に入っているつもり。
夕方になると徘徊するおばあさんは、本人は夕食の支度にかかっているのだ。
部屋中をかき乱している老人も、仕事をしているつもり。
わたしなら、おそらく、テーブルに平たいものを持ち出し、指をかちゃかちゃ動かして、ブログをアップしているつもりの老人になりそうだ。
大人しい、手の掛からない老人ならよいのだが。

現実とアタマの中を行ったり来たり。
その区別がだんだん出来なくなる。
あれ? 今でもその傾向のあるわたしは、歳をとっても、認知症状が発覚しにくいことだろう。
ゴミ屋敷と化した、お気に入りの自分の家で、
「今日は、娘一家が来るので、掃除しないといけない???」なんて、かちゃかちゃ、平たいものの上に、指だけ動かしているのだろうか。
でも、きっと、こころは。
大のお気に入りの空間、お気に入りの時間、それを切り離して奪ってしまうのは、
自分自身の心身の老化のせいなのか、
はたまた、お気に入り状態から離れたくない自分から、無理やり引き剥がす、身近な家族なのか。
人は生まれるからには、弱って死んでいく運命にあり、それは誰にも避けられない。
部屋も汚くなるだろうし、身もかまわなくなるだろう。
刺激もないので、だんだん、理想的な暮らしから遠のいていきそうだ。
自分がアタマに描いた理想の暮らし、理想の老後が海外僱傭中心送れていない、とその時点で自分で判断できるのだろうか。
かといって、心身健康なときに、理想の暮らしを切り捨てて、老人ホームに入る勇気があるかどうか。
英断が下せるのだろうか。
有終の美を飾りたい。ピークのときに引退したい。
そう理想は唱えるが、実際になると、自主的に自由意志でそんなことは出来ないと思う。
よほどの強い意志でもない限り。
あるいは、よほどの外圧、外からの強制力でもない限り。
いくら美学を貫きたいと思っても、認知症にかかってしまえば、貫けない。
ただ、問題は、白黒はっきりした、だれが見ても深刻な認知症ならわかりやすいが、
アタマがばっちり冴えている時と、そうでない時にわかれる、ジキルとハイドの認知症、
いわゆる「まだら」になった場合。
自分で無意識、無自覚に行っている行為があり、その行為をモノの移動や、事象の検証で確認できた場合、
あるいは、他人に「あなた、これこれ、こんなことしてましたよ」と知らされた場合、
我に戻ったハイドは、認知症のジキルの行動を知って、愕然となる。
まさに認知症のまだら状態は、人間の二面性といってよいのではないだろうか。
自分の知らない自分を知ったら愕然とすることだろう。
徘徊老人は、まさにそれ。
真っ裸になって道の溝にしゃがんで、すっぽり入っている老人、
「お~い、追い炊きしてくれ~」と、本人はお風呂に入っているつもり。
夕方になると徘徊するおばあさんは、本人は夕食の支度にかかっているのだ。
部屋中をかき乱している老人も、仕事をしているつもり。
わたしなら、おそらく、テーブルに平たいものを持ち出し、指をかちゃかちゃ動かして、ブログをアップしているつもりの老人になりそうだ。
大人しい、手の掛からない老人ならよいのだが。

現実とアタマの中を行ったり来たり。
その区別がだんだん出来なくなる。
あれ? 今でもその傾向のあるわたしは、歳をとっても、認知症状が発覚しにくいことだろう。
ゴミ屋敷と化した、お気に入りの自分の家で、
「今日は、娘一家が来るので、掃除しないといけない???」なんて、かちゃかちゃ、平たいものの上に、指だけ動かしているのだろうか。
でも、きっと、こころは。
大のお気に入りの空間、お気に入りの時間、それを切り離して奪ってしまうのは、
自分自身の心身の老化のせいなのか、
はたまた、お気に入り状態から離れたくない自分から、無理やり引き剥がす、身近な家族なのか。
人は生まれるからには、弱って死んでいく運命にあり、それは誰にも避けられない。
Posted by 身を乗り出した at
12:31
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